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下に貯水タンクのようなものがあったので生きてました。

がんばります
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四月は君の嘘

死ぬことにしました!

いろいろ考えたけどこれから先の未来に特に希望が抱けません!抱くつもりもありません!!

だってこれからさき頑張って生きても経験するようなことって結局アニメ漫画小説映画で描かれてることじゃないですか!!

私はもうそういうの散々見てきたんでもういいんです!


百聞は一見にしかず?


じゃあ千聞すればいいでしょ!私はもう万聞はしましたね!!!


人並みの幸せが一番?


うっせーばーか!負け惜しみ!しね!



確かに私だって、これからそれなりに頑張って生きて、俗に言う人並みの幸せを手に入れたら、過去の自分を振り返ってやっぱり生きていて良かったって思うかもしれません。

その時は多分ブログを更新するでしょう、書き出しは多分こんな感じ。

「あれから色々あって、なんとか生きてきました。
昔の記事を読むとなんとも言えない気持ちになります(笑)

過去の自分が言って来たことを「若さ」みたいな言葉で誤魔化すつもりはありません。
高校生の頃の私が言っていたことを今噛みしめてみても、やはりそれが全て間違っているとは思わないからです。

ただ一言だけ言うならば、「ありがとう」
誰にかって?過去の自分、今までの自分にです。

生をあきらめないでくれてありがとう。
今まで生きてくれてありがとう。

そのおかげで今の私がいます。」



みたいなね!しね!


私はこういうふうにはなりたくありません。

常に尖ったまま生きて尖ったまま死にたいです。


そもそも私は人並みに頑張る程度じゃもう人並みの幸せを手に入れることは出来ない状況に居ます。
人並み以上に必死に頑張ってようやく人並みの幸せを得るなんて嫌です。


だから今死にます。



もっとも価値のある付加価値はすなわち「死」なのです!!!!

芸術家に言いたい!人気が出ないなら死ね!

音楽家にも言いたい!人気が出ないなら死ね!

とりあえず死ねば阿呆な奴らが勝手に色々考えて価値を見出してくれるから死ね!!!


というわけでしにます!



人間70億人も居るんだからこういう人生あってもいいと思うのでしにます!


示し合わせたかのように私の部屋はベランダに直接繋がっています!

大きな窓があります!いつもそこから外の風景を眺めていました!私もその一部になります!

ただ私の部屋はマンションの5階にあるので高さ的に死ねるかわかりません!!!!

でも多分死ぬでしょう!コンクリート硬いからね!!!





ちょっとだけ後悔していること。
いち、もうちょっと文章書いとけばよかった。死んでも付加価値が付く対象の文章がない。
に、教師に中指立てたかった。これは本当に後悔。交番には中指立てたし多分監視カメラにも写ってたけど何も起こらなかった。
さん、多分私が死ぬことで弟はもっと苦労することになる。申し訳ないけど悲劇を背負って強く生きて欲しい。多分モテる。



ではお疲れ様でした。
私は18歳の若さで死ぬことによって、これから先数十年の人生で消費するはずだったたくさんの命や物を救うことになると思います。
ですからもし神様が居るのならば、そこら辺の善行を考慮して次はもうちょっとイケメン(ジャニーズ系の顔はNG、あとエクザイル系もNG)で何らかの芸術的才能があって(晩熟もNG)、アフリカの子ども達と難民の子どもたちに笑われないようなかっこいい悲劇を背負って生まれたいです。


よろしくお願いします。





あ、忘れてました。
死ぬと穴という穴から色んな物が出てくるらしいので最後にトイレに行ってからしにます。

りある

DN 2016-02-23 01-50-55 Tue



これが私のドラネスライフだ!!!!!111111

もう1年

センターの出願出し忘れてたのでもう1年遊べるドン


DN 2016-01-13 20-01-00 Wed


DN 2016-01-08 01-39-44 Fri

悟り




記念すべきブログ更新再開一発目の記事になにか特別なことを書こうとしましたが、結局それはただすごいと思われたいという浅ましい自己承認欲求によるものだったのできっぱりやめて普通に近況を書くことにします。



という一文を書くのに1ヶ月と3時間掛かりました。
という文を書いたあと、以下の文章を書くのにまた3時間ほどかかりました。

私にとってこの1ヶ月と6時間は本当に頭が痛くなるほどの思考の連続であり、特に最後の6時間はテンションが変になってひたすら原稿用紙に円を描いたり、SNSにアップすれば「病んでる」(笑)というコメントがいただけそうな絵を描いたりしていました。

そんな苦労のもと生み出された上の一文。
私はそれを誰かに分かって欲しくて、認められたくてこうしてブログに書いています。
今頭の中では、ニュースキャスターが「なぶろぐがついに更新されました」と台本を読み、街頭インタビューでは渋谷あたりで女子高生が「マジリスペクトっす」と笑いながら話しており、専門家へのインタビューではどっかの偉いであろうポーズをしたおじさんが「このなぶろぐというものは若者の生きた葛藤を聞ける場所である」とか言っているのです。

しかし私以外の人からすれば結局それは「へーそうなんだ」で片付けられることであり、私がどれだけこの苦労を語ろうとしてもそれを他人に理解してもらうのは無理なのでしょう。
人一人に起こった主観的な悟りまがいのものだったり感動怒り悲しみだったりするものは、多分客観的に見れば当人が思っているほどの価値は一つもないものです。

もちろんそれを、例えば小説に活かして文章として万人にわかりやすいように表現できるならば、多少は価値がつくのでしょうが、もちろん私にはそんな技術はありませんので結局上の一文に価値はなにもないということになります。

私の1ヶ月と6時間は、貴方からすれば数秒にも満たない刹那の思考の中に消えていってしまうのです。

そう考えた時、最初は悲しさや虚しさを感じていたのですが、だんだんと諦めというか、まあそんなもんだろうという悟りっぽいものが心のなかに湧き上がってきて、また私はしばしそれに酔っていたのですが、結局それも大海の上に起こった一つの泡に過ぎず、何の価値もなく誰にも認められることもなく消えていきます。



まあでも、多分これからの人生も全てにおいてそんなもんなんですよね。

私はつい数日前に高校を中退し、社会的には中卒という底辺も底辺の肩書を手に入れてしまいましたが、それに対して特になにか思うこともありませんし、高校中退を機に劇的に変わってバリバリ働き始めるなんてこともありません。
もちろん実際に退学届に判子を押すまでは、これを機に変わるかも、なんて自分で自分に期待していましたが、結局判子を押しても、母が涙ながらに今までの謝辞を述べるのを横目に見ても、先生に頭を下げても、先生から君の居る教室に行くのが楽しみだったなんて言われても、恐らく二度と来ることでないあろう高校の玄関を通っても、恐らく二度と見ることがないであろう校舎を振り返ってみても、恐らく二度と歩くことはないであろう通学路を踏みしめてみても、本当に何も思うことはなく何かが変わるということはありませんでした。


まあそんなもんなんです。

私は高校生活で制服デートはおろか、制服を着て同性の友達と放課後に街で遊ぶという経験すらしたことがありませんでしが、人間70億もいればそんな人もいるんでしょう。

自分を変えようと思って肉体労働系のバイトを始めて8時間でバックれましたが、そんなもんなんでしょう。
頭の中での会話シミュレーションは完璧でも、実際は全くうまく行きませんが、そんなもんなんでしょう。
本屋に通いつめて自己啓発本を読み漁っても何も変わることはありませでしたが、まあそんなもんなんでしょう。


数百年も文明が続けばその中で自然災害だって起こるでしょう。紛争だって起きるでしょう。人だって死ぬでしょう。

テレビでは連日不幸な何かが取り上げられ、その後に必ずスポンサーの名前が高々と掲げられています。
しかしいくらテレビの中で親をなくした子供を映したって、海を渡る家族を見たって、結局それはそういうこともあるんだという他人事に過ぎません。
もちろんそれが私に降りかかれば、テレビの中でどこかのお茶の間に湿り気をもたせる仕事は私がやっていることでしょう。
それを見た誰かが分かった気になってちょっと涙を流して、やれ感謝だなんだと言います。

ですがテレビの中にあるその人の本当の葛藤っていうのは結局誰にも理解されないことで、同じ出来事を経験したとして何一つ同じものはなく決して共有できるものではないのだと思います。
個性というものがあるとするならば、心のフィルターの形のことであって、決してスポーツが出来るだとか勉強ができるだとかそんな誰でもやっているものでは無いはずです。


つまり人間は生まれてから死ぬまで本質的に孤独なのではないでしょうか。
そもそも人間なんて物理的には小さな穴と棒でしか交われないのに、果たして精神的にお互いの孤独を埋め合うなんてことが出来るのでしょうか。
満たされているように見えるコップでも、少しテーブルが傾けば中身は溢れ、テーブルが無くなれば地面に落ちて音を立てて割れてしまいます。そのテーブルは例えば家族という肩書であったり、学校という組織であったり。

結局私にとって貴方は他人であり、貴方にとって私は他人なんです。
人間の根幹にある心、あるいは思考というものに何一つ同じものはないのだから当たり前ですね。
私が必死こいてこんな文章を書いていても、貴方にとってそれは「何言ってんだこいつ」で片付けられることであり、むしろゲームブログだったはずのものがいきなり気持ち悪い思想を押し付けてきたと感じるかもしれないし、人によっては偏った政治の話題よりも不快になるに違いありません。

そしてこれを読んでそう思っている貴方も、私にとっては他人というわけです。


つまるところ私が言いたいのは、人間最後に信じられるのは自分だけであり、人がどうとかこうとか気にしてはいけないということです。
それは言い方を変えれば好きなことで生きていくということであり、好きなことで生きていくということはyoutuberになるということではないでしょうか。

というわけで私は一発逆転を狙ってゆーちゅーばーになります。










もちろん嘘です。
おやすみなさい

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